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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)2241号 判決 1981年8月24日

原告

崔英玉

被告

平澤伊三郎こと平澤伊三雄

主文

1  被告は、原告に対し、金四六万六九三八円及びこれに対する昭和五五年三月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用中、原告と被告との間で生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。

4  訴訟費用中、原告と補助参加人との間で生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を補助参加人の負担とする。

5  この判決は、第1に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し金六六〇万円とこれに対する昭和五五年三月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生(以下、本件交通事故という。)

(一) 日時 昭和五四年六月二四日午前一時ころ

(二) 場所 東京都武蔵野市吉祥寺北町三丁目一五番先交差点路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(練馬五五い二八七二号、個人タクシー)

運転車 被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(練馬五五え五四二一号、タクシー)

運転車 訴外樫村光男

同乗者(被害者) 原告

(五) 態様 前記交差点内で被害車が通過進行中、加害車がその左側面に衝突した。

2  責任原因(自動車損害賠償保障法三条本文)

被告は右加害車を自己の営業に利用していたものである。

3  権利の侵害

(一) 原告は、本件交通事故により頸推捻挫、左下腿打撲の傷害を受け、<1>昭和五四年六月二八日から同年八月四日まで訴外益子病院に入院し、同八月五日から同年九月五日まで通院治療を受け、<2>その後、訴外生方接骨医院で毎日通院加療を受け、<3>昭和五四年一一月一三日から同五五年四月一四日まで週二回の割合で訴外福岡クリニツクで通院治療(マツサージ)を受け、<4>昭和五六年六月ころから訴外リラツクス整体研究所にて通院治療を受けている。右後遺障害は自動車損害賠償保障法施行令別表等級別後遺障害一覧表一二級の六及び同一二に各該当するので後遺障害等級一一級になる。

(二) 原告の右負傷による後遺症状は昭和五六年七月現在ほとんど固定した段階にあり、後遺障害の内容としては<1>右膝関節部屈伸困難のため正座不可能、長時間歩行困難、歩行時に右脚をひきずること、<2>頸推捻挫のため視力低下、握力低下、常時だるいことなどである。

4  損害

(一) 後遺症逸失利益 金四六〇万円

原告は、本件事故当時、訴外クラブ「アリラン」に勤務する満三二歳(昭和二一年一一月八日生)のホステスであり、一日一万二〇〇〇円の保証給与を受けていたが、本件事故に遭わなければ普通女子労働者として六七歳まで稼働し得、この間少なくとも女子労働者の平均月収金一二万円を下らない収入を得られる筈であるところ、自動車損害賠償保障法施行令別表等級別後遺障害一覧表一一級に該当する前記後遺症により労働能力二〇パーセントの喪失を来たしたので、この範囲でライプニツツ方式で中間利息を控除した後遺症逸失利益の現価を求めると金四六〇万円は下らない。

(計算式)

1,440,000×0.2×16.0025=4,608,720

(二) 後遺症慰藉料 金二〇〇万円

原告は前記後遺症により多大の精神上の苦痛を受けその慰藉料は金二〇〇万円を相当とする。

5  結論

よつて、原告は被告に対し損害賠償金金六六〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五五年三月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項の事実は認める。

3  同第3項(一)(二)の各事実は不知ないし争う。

4  同第4項(一)(二)の各事実は不知ないし争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因第1項(事故の発生)、(一)日時、(二)場所、(三)加害車等、(四)被害車等、(五)態様の各事実は当事者間に争いがない。

二  同第2項(責任原因)の事実は当事者間に争いがない。

三  成立に争いのない甲第二ないし第五号証及び同第七号証(原本の存在も争いがない)と原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は本件交通事故により頭部打撲、頸部捻挫、左上腕、左下腿部打撲、左下腿挫創の傷害を受け、事故日の昭和五四年六月二四日に救急病院で応急治療を受けたのち、昭和五四年六月二八日から同年八月四日まで訴外益子病院に入院し、同八月五日から同年九月五日まで一週間に二、三回の割合で通院治療を受けたが治療効果も感ぜられず自己の判断で転院して訴外生方接骨医院(柔道整復師訴外生方晴一)で昭和五四年九月六日から同年一一月七日まで通院治療を受け(実通院日数は四一日)、次で訴外福岡クリニツク(医師福岡大作)で同月一四日から翌五五年四月一四日まで週二回ほどの割合で通院治療を受けたが症状は改善されないため、以後はマツサージなどの治療を受けたりし、昭和五六年六月ころからは訴外リラツクス整体研究所分室にて治療を受けていること、この間、原告は頸部、頭部痛、頭重感、シビレ感、左下肢痛などが続き顕著な改善は終始認められずに現在に至つており、同人の右症状は後遺障害として少なくとも昭和五四年一一月ころには固定し、以後、昭和五六年末ころまでは継続することが認められ、他に右認定を左右にする証拠はない。

なお、原告は自動車損害賠償保障法施行令別表等級別後遺障害一覧表一二級の六及び一二に該当する後遺症があると主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

四  原告には、本件交通事故により前項認定の後遺障害が存在することが認められ、これにより生じた人的損害を構成する損害項目と金額は次のとおりである。

1  後遺症逸失利益 金六万六九三八円

原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第六号証の一ないし三並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、本件事故当時、三二歳の健康な女性であり、訴外コーリアン・クラブ「アリラン」に勤務するホステスとしてその職業的経費を控除しても少なくとも月収金一〇万円を下廻らない収入を得られた筈の者であり、前記認定の後遺症状の固定日である昭和五四年一一月ころからホステスとしての稼働可能期間内に包含される少なくとも二年間にわたり右後遺症状が残存し、そのため右期間中、少なくとも三パーセントの労働能力の低下及びこれによる収入の減少を余儀なくされることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。以上の事実を前提として算定した右期間中の原告の本件交通事故と相当因果関係ある逸失利益にライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除してその現価を計算すると金六万六九三八円(一円未満切捨)となる。

(計算式)

100,000×12×0.03×1.8594=66,938.4

2  後遺症慰藉料 金四〇万円

前記後遺症の程度及び内容などを斟酌すると、原告が本件事故による後遺症に基づく精神的苦痛を慰藉する慰藉料は金四〇万円を下廻らないと認めるのが相当である。

五  よつて、原告の被告に対する本件事故に基づく損害賠償金四六万六九三八円とこれに対する訴状送達の日であることが記録上明らかな昭和五五年三月一五日の翌日である一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告の請求は理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九四条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 稲田龍樹)

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